マッドメン S2Ep9「前に進む時」

「理想的なアメリカ」の崩壊の始まり

録画消化。久しぶりに見たら、以前とは随分違う世界が広がっていました。

シーズン1で描かれてきた60年代のケネディ大統領の時代のアメリカは、今のカジュアルなアメリカのイメージとは一致しない、テクニカラーで完璧に身だしなみを整えた、どこか非現実的なほど「理想」的な世界でした。エリートビジネスマンとその家族である主要キャラクターたちはもちろん、ドンの家政婦の黒人女性ですら、エプロンを脱いで帰ろうとする時の私服は、ツイードのスーツに帽子を被りハンドバッグを持った、今じゃコンドリーザ・ライスかアンカーウーマンしか着ないような「きちんと」した姿。ドンの会社のエレベーターボーイの黒人青年も、実はこのドラマに出てくる中で一番まともな人なんじゃないかしらと思わせるほど、見た目も中身も「きちんと」しています。エレベーターボーイのマリリン・モンローの死に対するコメントからは、他の誰よりも誠実さと知性と思いやりが感じられました。

でも、どこかにほころびの兆しは見えていたのですよね。特に顕著だったのが、ドンの美しい妻ベティ。常にグレース・ケリーのように完璧なファッションでありながら、母親業もきちんとこなしている・・・ように見えて、実は子供の朝食はシリアルにミルクをかけただけのものを投げやりに与えていたり、ドンへ示す興味の半分も子供にはないような気がしていました。一見完璧な夫のようでいて、いつも何かを隠しているドンへのストレスを、ベティは自分だけで抱え込み、抑え続けていたからですよね、きっと。

コメディアンのジミーのドンへの妬みによる悪意のせいで、ベティはドンとジミーの妻の浮気を知り、ついに我慢も限界に。ドンを家から追いだした後の、どこかだらしなくなってしまったベティは、お酒を飲んでソファで寝起きし、髪はボサボサで、寝巻のまま。お天気が良くても外出もしようとしない。いつもイライラしている・・・つまりおなじみの、ごく普通の現代のアメリカの女性像?! なんてちょっと失礼かもしれませんが、70年代以降のドラマや映画には描かれている、「もはや完璧ではなくなったアメリカ人」に、少しずつ近いづいていました。ある意味今までお人形のようだったベティが、ようやく人間に見えてきました。

まるで、浴槽で全裸で発見されたマリリン・モンローの死が、皆が「完璧な世界」の下に隠してきた、「完璧じゃない世界」を表に引きずり出す合図だったかのようでした。冒頭でキャラクター全員にショックを与えたモンローの死から始まり、エンディングの切なくたどたどしいI'm Through with Loveの歌詞に至るまで、全てが計算し尽くされた、いかにもマッドメンらしい素晴らしい回だったと思います。

このドラマが描きたいのはノスタルジックな60年代の「今と違って素晴らしかったあの頃」なんて甘ったるいものではないのだろうなとは思っていましたが、シーズン2以降では、こうやって「素晴らしい時代の終わり」を残酷なほど克明に、ゆっくりと描いて行くのでしょうか。うーん、続きが楽しみすぎます!

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