ダークナイト・ライジング鑑賞(ネタバレあり)

ええと、8月5日に鑑賞したのに、まだ感想を書けていなかった、という所でお察し下さい。
以下、冒頭からあっさりとネタバレです。まだ映画見てない人およびノーラン監督が大好きな人は読んじゃダメです。
















すごく・・・ビギンズでした。

今回の場合、観客の多くは「あのすごかったダークナイトの続編」という意識を持って映画館に行ったのではないかと思うのですが、ノーラン先生の提示してきた答えは「(きみたちはアホだから忘れかけてるだろうけど、わたしはビギンズってのも撮っていてだな)これは三部作の最終章なんだ。どうだ、見事にプロット回収した形になってて美しいだろ」というドヤ顔だったのでした。

というわけで、ノーラン先生が今回の話で言いたかった事は、リーアム・ニーソンのヤリ◯◯がすべて悪の元凶と言うことですね、分かります(違)


好きな所:
アン・ハサウェイのシーンすべて。まじかわゆす。

ダメな所:
プロットをややこしくしようとしすぎて、物語が完全に破綻している。物語に芯がない。伝えたい何かが何もない。(どんな下らないテーマでもよいのです。アベンジャーズなんてホントに下らないお話で、「ヒーローとは何か」以外に何もないけど、それでもちゃんと芯があるし、たぶん見終わった後、子供たちはハルクやナターシャになりきって映画館を出てくるでしょう。それこそが、監督がやりたかったこと)


細かいこと言えば、例えば、アレの扱いかたすべて。車ごとドスンはないっすよ・・・。最後の処理の仕方も超ずさん。物語にカタルシスをもたらす道具としてすら上手く機能してない。結論として、ノーラン先生を代表とするハリウッド映画における核兵器とは、BLにおけるやおい穴に近いのではないかと思いました(大抵の乱暴な扱いはOKで、お話における色々な不可能を可能にする、架空の何か。決して実在する類似の物と一緒ではない)。

あと、アン・ハサウェイの全身がいまいちよく見られなかったのが残念。バットモービルがほぼ「キャットウーマンのおしりを映すためだけの道具」にされている所は素直に賞賛に値すると思いますが、あのバイクの構造どうなってるんだらう。あの曲がり方ないっぺよ。

わたしはノーラン監督同様キリアン・マーフィーの顔が好きなので、スケアクロウにまた会えてちょっと嬉しかったのですが、あの役は名も無き市民のうちの一人が、いつの間にかあんな強大な権力を持ってしまうほどに狂った体制になった、という風にした方がお話として説得力が出るのでは。実際にフランス革命ではそうでしたよね。ああいう「市民の革命がトチ狂う」路線のお話に興味がある方は、たぶん「ドクトル・ジバゴ」を見るほうが充実感があるのでは(こら)。


うーん、で、継承盃渡したことだし、そちらで続き作る気満々ということでよろしい?なんかもっと気軽な映画として続き作って欲しい気はします。

でも、あの人が崇拝しているのはバットマンじゃなくてゴードンですよね。もうリスペクトを超えてラブに行ってるというか、あのミケランジェロピエタのような抱きしめ方は・・・(以下自粛)。

さて、一番ダメだったのは、肝心のノーラン監督がこの映画を撮った意図だと思います。
そもそもこのシリーズを始めた時には、リアリティにこだわってアメコミ的なアホさを排除する事が目的だと思ってたのですが、結構そうでもなかったというか(リアリティどこにもなかった)、結局TDKRでは、ノーラン先生的には三部作の円環を美しく閉じる事こそが一番の関心事だったのかなと思いました。そう、伝えたい事は、何にもないんです。
あるのは「こういう絵が撮りたい」という撮影マニア魂と、「観客が予測することのできないプロットを考えて、『ノーランさんパねえっす』と思われ続けなければ」という「若い時にうっかりすごい人だと思われちゃったがゆえの苦心」でした。

まあ、バットマンで映画3本取らなきゃいけなくって、その契約を全うしたかったけど、ヒース死んじゃった。3作目も大ヒットさせなきゃいけない。よって色々考えてこうなりました、みたいな感じでしょうか。いや、ほんとにそれ以上のものが何も感じられなかったです。なにしろ感情移入出来るキャラクターが一人もいないし、お話に全く筋が通っていないので。

ディテールがおかしいというのは、沢山の人が指摘していますが、そこはどうでもいいです。
それよりも、あれだけのハッタリを連発しておいて、それが何かを伝えるための手段ではなくて、ハッタリ映像を連発すること自体が目的になってしまっている、という事が(そしてそれがオカシイことだと誰も思っていない事が)この監督の抱えている一番大きな問題なのだと思います。

この徹底的に心のない、型のカッコよさのみを追求するやり方だからこそ、やはりヒース・レジャーの作り上げた徹底的に心のない悪党(話すたびに違う顔の傷の理由。ヴィランの過去のトラウマなんかどうだっていいのだ。そこにあるのは100%の悪意のみ)によってのみ一種の傑作になったんですね。

考えてみれば、トム・ハーディが悪役ってなんだかヘンなんですよね。だって可愛すぎるもの。どんなにがんばって体鍛えても、目がなんだか良い人っぽいのです。そして徐々に明かされる、苦労した身の上。そう、ベインは心のある悪党であったゆえに、ノーランの映画にハマっていないのです。ベインってなんとなくThe World is not Enoughの時のロバート・カーライルっぽいなあと思ったら、結局ほんとうにそういうオチでした。黒幕はかなり心のない悪党でしたが、「◯の成し遂げなかった事を成し遂げたい」という心があったゆえに、やっぱり中途半端な悪党で終わってしまい、折角主人公が倒した所で、スカっとしなかったのかな、と。

というわけで、ノーラン先生がメガホンを取るはずのMan of Steelの出来が心底心配なわけですが、アベンジャーズの予想外の大成功を見て、DCもジャスティス・リーグ映画化する!と思っているハズなので、なんとかこー、もうちょっと面白い映画にしてください。お願いします・・・。

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